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「栗子隧道碑記」を道の駅米沢に移転建立

山形新幹線板谷峠長大トンネル

10年以上かかった「栗子隧道碑記」の移転建立
県議会議員 後藤 源 
 平成14年から毎年7月に旧栗子隧道まで歩く万世大路を歩く会を催しています。栗子隧道は明治の初め日本最大の土木工事と言われ完成した隧道の長さ876メートルは日本一でした。山形県が出来て5年後の事です。山で囲まれた山形県を東京につなぐため栗子の山に穴を開けたのです。
 山形県の歴史の始まりは栗子隧道からとの思いから行政の建設土木関係に携わる人達に呼びかけ、山越えも含め16年続いています。国交省山形河川国道事務所、ネクスコ東日本、山形県県土整備部、置賜総合支庁建設部、市役所、福島県側の河川国道事務所、福島県土木部、福島市建設部、それに万世大路保存会の役員等です。初めは10名程度でしたが今では40〜60名と大勢になりました。
 万世大路を歩く会を始めて間もなく、隧道開削当時の様子を刻んだ大きな碑があることを知りました。初代県令三島通庸がどのような思いで山に穴を開けようとしたのか、工事の内容と竣工までの状況を漢文で記してあり、山形県にとっては一級品の歴史遺産です。福島県河川国道事務所管内の国道栗子維持出張所に建っていますが、元々は栗子隧道開通翌年1月に隧道米沢側入口に建てられたものです。是非米沢側に移したいものと思い、万世大路保存会の方々とともに相図り運動を始めました。国道13号刈安地内にトイレ休憩所もある除雪ステーションがあります。奥に万世大路記念碑公園があるのでその中心に栗子隧道碑記を据えたらどうだろうと考えました。

▲国交省国道栗子維持
出張所に立てられてあった「栗子隧道碑記」
 たまたま米沢出身(興譲館高卒)で山形河川国道事務所長の手塚寛之氏にこの話をしましたら、ポツリと、米沢に道の駅構想が出ていると聞いている。高速道路も数年後には開通するだろうし、そうすると13号を通る車も少なくなる。道の駅に置いてはどうだろうか、と一言漏らしました。それは名案だ、その際の移転は国交省でお願いしますねと念を押しました。それから具体的に行動を起こしたのですが、簡単ではありませんでした。碑の所有権はどこにあるのか、移転費用はどこが持つのか、福島県側では、今福島県にあるのになぜ山形県に移す必要性があるのか、等々解決の時間が経過しました。若い頃山形県庁に出向し、当時国交省の官房長を務めておられる西脇さんを訪ね、碑の写真を示し国交省内部で検討し米沢側に移してほしいと、国交省に行く機会ある毎に陳情を行いました。
 碑の存在を知って15年、移転の運動を始めて10年余。漸く国交省並びに福島県側のご理解とご協力を得て、この度道の駅米沢のオープンと同時に、「栗子隧道碑記」移転建立の除幕式も挙行することとなりました。大きな喜びです。また、碑の説明文の看板については、山形県当局のご配慮で立派に建てられました。
 今年は明治維新150年の節目の年、明治15年、栗子隧道米沢口に建てられた栗子隧道碑記が135年を経て新たな地に建立され甦りました。万世大路保存会の皆様とともに、関係者各位に衷心より謝意を表します。

▲「栗子隧道碑記」移転について万世大路保存会の役員と
山形河川国道事務所和田所長と懇談(30.1.24 所長室)

「栗子隧道碑記」の石碑について

歴史の道土木遺産万世大路保存会 会長  梅津幸保 
 この石碑は当初、栗子隧道米沢口に建立されていたが、昭和40年代に栗子国道維持管理事務所の入口に移転されている。大きさは高さ400cm、幅140cm、厚さが37cm大きなもので、あらためて碑の前に立ってみるとその大きさに驚かされる。表裏に漢文で1714字ほど工事の概要が刻まれている。(平成30年3月9日実測)
 初代山形県令三島通庸が一番に取り組んだ事業は、土木事業である。故に土木県令とも言われる。その理由として、山形県は三方が山に囲まれていて物資の輸送が出来ず中央との連携もままならず、山形県の発展を妨げているとの認識であった。
 栗子隧道の工事が始まったのは明治9年11月で、計画では1年で貫通する予定であった。それが、岩盤が堅く4年もの歳月がかかり、隧道が貫通したのは同13年11月19日であった。この工事で力を発揮したのが世界に3台しかなかった蒸気式削岩機で、アメリカから1台輸入して工事を進め隧道を完成させることができた。
 この間計画通りにいかないことに対して内外から批判があがった。(内は県庁内同僚、外は住民)これらの計画は国の補助金で工事を進めていたが、地元負担が多く、工事人夫は強制奉仕などがあり、地元からの反対もあった。当時の高木土木課長はルートの変更も考えた。それらを乗り越えて三島県令は工事を続行し貫通させて、一年をかけて周辺整備をして完成させた。
 明治14年10月3日、明治天皇が東北御巡幸の折、米沢の行在所を朝6時鳳輦で出発され、桑山観音原(元万世小学校跡地)で小休憩された。また刈安川越石で輿に乗り換え、栗子隧道西口に着かれた。ここで隧道の開通式を挙行したあと福島に向かわれた。
 明治天皇が御所にお着きになってから、米沢福島間の道路がよく整備されているとお褒めになり、翌明治15年2月8日に、この道路を「萬世大路」と命名された。これは中国の古典尚書から取った「萬世永頼惟汝之功」が出典であると書かれている。
 この石碑は今年4月20日にオープンする道の駅米沢に移設された。この度開通した高速道路のルートは、この明治の栗子隧道があって計画されたものである。道の駅に移転され、当時の偉業を訪れる多くの皆さんに実感してもらい、後世に伝えてゆくこととなり喜んでいるところである。

▲「栗子隧道碑記」と筆者


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